BLOG
2023-01-25 17:15:00
Lookism ( ルッキズム )
ルッキズム( Lookism )という言葉があります。
Look( 容姿 ) + ism( 主義 ) を合わせた造語で、 見た目で人を判断したり容姿を理由に差別したりする “外見至上主義” を指す言葉と言われています。
現実問題として《 人は見た目ではありません。しかし見た目で判断される世の中 》というのが私の見解です。
多かれ少なかれ、表に出す出さない別に“ 人間の性 ”としてそのように刻まれてきた歴史的背景も感じますので、 完全無欠ですという人も少ないのではないでしょうか。
かといってルッキズムを肯定しているというわけでもありません。 私は不完全さに人間の美しさがあると思っています。“ 不完全の美 ” です。それは“ 自然体の美しさ ” とも言い換えることができるかもしれません。
人は生きていく中で多くの言葉を浴びせられ様々な固定観念を植え 付けられていきます。 その道のりで固定観念と引き換えに自信を抜き取られていくのでし ょう。
自信というのは自分を信じる力です。 自分を愛する力とも言えるかもしれません。
本来、自信があれば何事も美しいものです。
自信は強さでもあり美しさでもあるからです。
しかし抜き取られた自信が多ければどうなるでしょう。 強さと美しさが抜き取られて残るのは固定観念です。 自分という唯一無二の素晴らしい種も、 自信という豊かな土壌でなければ美しい花を咲かせることはできま せん。固定観念という雑草(雑念) に栄養を奪われてしまってどんな花が咲くというのでしょう。
私が伝えたいのは『そのままの自分に自信を持ってください』 ということです。
雑草が生えてきたら抜けばいいだけです。
あなたの豊かな土壌はあなたしか守ることは出来ません。 どんな自分であっても、 あなたが自分自身に自信を持てば全ての解釈を変えることが出来る ようになります。
雑念に耳を傾けないでください。
あなたはあなたに集中し続けてください。
あなたはそのままで素晴らしいのですから。
人生経験が乏しいうちはルッキズムに偏ってしまうのも否めないこ とでしょう。 ですが経験を重ねる中で目に見えないものの大切さに気がつけるよ うになっていきます。“ 大切なものは目に見えない ” という有名な言葉がありますが、 それがより深く腑に落ちる日がやって来るのです。
あなたが自分に自信を持つことで他の誰かも自分に自信が持てるよ うになります。喜びは連鎖します。
あなたが笑顔になれば他の誰かも笑顔になります。
あなたがありのままの自分を愛せることで それを見た他の誰かもまた、 ありのままの自分を愛せるようになるのです。
あなたにはそれほどの影響力があるということをどうか心に留めて おいてください。
今 幸せそうにしている人も過去にあなたと同じような悩みを抱えてい たということはざらにあります。 むしろそういう方々の方が多いことでしょう。言い方を変えれば、 そういった悩みを乗り越えてきたからこそ今の幸せを手に入れるこ とが出来たと言えるかもしれません。
厳しい環境を越えた野菜や果物の甘みが劇的に増すように、 苦難を乗り越えた先に思ってもみなかった恩恵や輝く未来が待って いるのです。
固定観念を捨て去って自分に自信が持てるようになれば何でもない ことに固執していたのだと気が付けるようになるでしょう。
自分に対するどんな悩みも苦悩も愛を持って受け入れてあげてくだ さい。 そのひとつ一つがあなたを形づくるあなただけの個性なのです。
自信はそんなあなたの悩みや苦悩をも唯一無二のあなただけの魅力 へと昇華させていくことでしょう。
あなたという素晴らしい種がこの世で美しい花を咲き誇らせ 世界を鮮やかに彩り、 照らし輝いていくことを心から願っています......
2022-12-07 17:15:00
日本のカッコイイ男性たち
#日本のカッコイイ男性たち
#ファッションは楽しい
Instagramで週1配信始めました。
( 冷やし中華はじめました みたいですね笑 )
Instagramでは“日本のカッコイイ男性” を全くの独断と偏見で選出しています。
ベースには“ファッションを楽しんでいる” ということが共通しているかもしれません。
私が思うカッコイイは
・何歳になってもファッションを楽しんでいる
・流行に左右されない“らしさ”の感じられるファッション
・他の人にはない雰囲気がある
つまりそれは
・人生を楽しんでいる
・自分を知っている
・自分を持っている
ことだと思っています。
そんな“自分らしさ” ですが誰もが持っているものでしょうか? “らしさ”を貫くのは容易なことでしょうか?
人生という海には穏やかな波も荒波も晴天も悪天もあります。 予想外のことが起きてみたり一筋縄ではいきません。
でもそれを己の手綱で生きてきた人というのは芯がありちょっとや そっとのことでは揺らぐことがありません。
荒波や悪天を越えてきた気迫もあれば、 波で削れて角がとれて丸くなったガラスのように綺麗で美しさをも 感じさせます。
私が感じるカッコイイはそこにあります。
現代は「空気を読む」ということが風潮されています。確かに海では「流れ(空気)を読む」ことは大切です。
ですがどんな状況においても流れに身を任せたままでいるとどうな るでしょうか?
流れに身を任せたほうが良いときもあれば、 手綱をしっかり握って自身で方向転換、潮目を読む、風を読む、 帆を張る・ たたむなど現状を乗りきるために状況に応じた臨機応変な数々のス キルが求められます。 そうして自力で乗りきってきた人たちというのは他の人とは違う何 かを感じさせます。
空気を読んでただ流れに身を任せてきた人たちとは一味も二味もち がうのです。流れに身を任せることは良いことです。 ですがそこに意志があるのか、 信念があるのかの違いは大きいと思います。
読みが正しいのかそうでないのか、 それは一時の結果ではなく長い目でみた結果での判断も必要になっ てきます。 あらゆるシーンを乗り越えてようやく辿り着いた先で手にする自由 。 それは物理的な自由を超えた精神的な自由とも言えるのではないで しょうか。
“らしさ” を貫くのはそれ程までに出来そうで出来ない、 理想郷を追うような不屈の精神が必要なのかもしれません。
そういった“らしさ” を貫いてきた御仁を尊敬すると共に私はそこはかとなく漂う人間と しての美しさや器の大きさ、真のカッコよさを感じるのです。